第二十八番札所浮身観音第三十番札所

第二十九番札所 雀林

雷電山 法用寺 十一面観世音
雀林

文献[2]より引用する

法用寺の創立は養老四年(720)で,会津では恵隆寺に次ぐ古刹である....
...
...そして徳一によって恵日寺(慧日寺)が創建されるまでは多くの末寺と飯豊山を司掌し,会津仏教史上の法用寺時代とでも称すべき盛時があった.
恵隆寺は,第三十一札所塔寺だ.それに次ぐ古さを持つ寺ということである.

御詠歌

御詠歌
めぐりきて にしをはるかに ながむれば
         あめつゆしげき ふるかたのぬま

境内

以前の観音堂

文献[2]の雀林観音堂の写真を下に引用する.これは,修復前の観音堂と思われる.瓦の外れ方が見ていて痛々しい限りだ.上と比べると,いまは,大変きれいになっている.
昔の観音堂

絵馬

観音堂に奉納されてる絵馬など.
観音堂を下から望む絵馬絵馬絵馬

三重の塔

会津地方唯一の三重の塔.中の写真は平成十五年十二月十三日撮影.左の写真は平成十六年十一月二十八日撮影.平成十六年から修復をしているようだ.
修復中(平成十六年)の三重の塔平成十五年の三重の塔解説板

虎の尾桜

会津五桜の一つ.虎の尾桜と呼ばれる桜.観音堂の前の桜がそれ.この桜を見るために,桜の季節は観光客がたくさん訪れる.
虎の尾桜のところにある柱解説板

解説板

いくつか解説板があった.文化財が法用寺には多いのだろう.
解説板解説板解説板

石仏

観音堂の右手にある道標と野仏.左:「右やないず」とある.他に字は見当たらず.この石は,ただ転がっているだけという状態.右:二十三夜供養塔.正月二十三日講中/敬白と脇に書いてある(「養」は羊がヘンとして,食がツクリとして書かれている).
「右やないず」二十三夜供養塔

観音堂の右手にある野仏のつづき.「六十六部供養塔」「安永三甲牛歳」とある(1774年,「養」は羊がヘンとして,食がツクリとして書かれている).ここからの引用すると「六十六部とは、中世以来諸国を遊行して修行を行った半僧半俗の仏教者のことである。六十六部の「法華経」を書写し、全国六十六箇所の霊場を巡回して奉納した。その因習は室町時代から江戸時代にかけて盛行した。僧侶のほかにも独特な服装をし、鉦を叩いて金銭を乞う者もいた.」
六十六部供養塔年:安永三甲牛歳

観音堂の右手にある野仏のつづき.湯殿山.安政六己未八月八日とある(1859年.政はヘンとツクリが縦に,己は巳として書いてある).
湯殿山安政六己未八月八日

巡礼道

高田観音・浮身観音から徒歩の場合

まず,只見線会津高田駅に入る前の交差点を左に(西に)曲がる.この道をしばらく直進し,ここを右折する.再びここを右折して,100mほど先を左折する.1・2分ほどで,法用寺山門が見える.徒歩50分ほど.

御朱印

御朱印
法用寺には御住職がいない.観音堂右手に,御朱印を頂ける壇家様の説明がある.

巡礼記

平成十五年(第九日)平成十六年(第八日)

住所

福島県大沼郡会津高田町雀林字三番山下

第二十八番札所浮身観音第三十番札所


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