第十三番札所第十五番札所

第十四番札所 下荒井

松命山 蓮華寺 聖観世音
下荒井
この観音堂はもと村北にあり別当を妙法寺といい,鰐口に元弘三年癸酉九月十五日(1333)の記録もあったことから,当時南北朝時代の様子も窺い知れる.その後寛永中(1624〜1642)にいたり蓮華寺がここに移ってから,その境内に観音堂が移された(解説板より).蓮華寺は康暦元年(1379)に仁範により開山されたが,現在は,廃寺された.

御詠歌

御詠歌
たかのやま よそにあらじの しもあらい
         さんこのまつに のりのあさかぜ

境内

観音堂解説

観音堂のところにあった解説板.
解説板

焼け残った門

蓮華寺は廃寺になった後に,役場や小学校として使われたが,明治十七年焼失した.しかし,以下の写真の門だけが残った.
焼け残った門

石仏

観音堂の少し手前にある石仏がある.右から,熊野飯豊の碑,二十三夜供養塔,三鈷の松,馬頭観音(観音像),馬頭観世音.あと後ろにあるのは,三鈷の松.
石仏

それぞれの石仏を撮ったもの.
馬頭観音(2基)三鈷の松二十三夜供養塔熊野飯豊の碑

飯豊山

まず,文献[11](p.64)から一節を引用する:
天正十八年,蒲生氏郷が会津に移封になると,蓮華寺十三世宥明を招いて飯豊山の山道開拓と,祭典の復興を命じた.宥明はこれに数年の歳月をかけてなし遂げ,文禄四年(1595)に登山して祭典を挙行した.氏郷は宥明の功績を認め, 蓮華寺をもって飯豊山の別当とし,さらに一ノ戸村薬師寺の別当も兼ねさせた.(強調は著者による)

以上から,以前はこの蓮華寺が飯豊山を管轄していたと考えてよいことが分かる.

以下のイメージは,文献[11]「序(pp.2-3)」にある旧蓮華寺什宝紺地金泥「法華経」(一ノ木飯豊神社像)の画像の引用である.このように蓮華寺の什宝である法華経が,現在は,一ノ木飯豊神社が管理している.
石仏

さらに,文献[11](p.66)によれば,蓮華寺にあった大般若経六百巻が宝寿院にあるとのことである.

蟹川橋

蟹川橋.下荒井観音から次の高瀬観音へ向かう途中で,阿賀川を渡るとき使う橋だ.
蟹川橋

今となってはとても立派な橋とはいえないものだ.2車線あるが十分な自動車には十分な広さの橋とはとても言えない.しかし,この橋は大正時代に地元の人達(蟹川,下荒井,安良田)によって架設されたものだ.地図を見ると,この橋があってはじめて,阿賀川の西側の人が東側の会津若松へ行けることが分かる.

以下の写真は架橋記念碑だ.大正三年四月竣工,大正四年八月建之.「蟹川/下荒井/安良田/三部落/共同架/設」とある.
架橋記念碑:表架橋記念碑:裏架橋記念碑:表:下部

巡礼道

舘観音から徒歩の場合

舘観音を出て南に進む.ここは道なりにすすむのではなく直進する.安良田バス停留所がある県道にでたら左折する.信号の交差点を右に曲がる.ここに案内があるので,それを参考に下荒井観音へ行くことができる.徒歩30分.

御朱印

御朱印
観音堂に,壇家様,宝寿院の御住職のどちらからも御朱印が頂ける旨が書かれている.

巡礼記

平成十五年(第五日)平成十六年(第四日)

住所

福島県会津若松市北会津町下荒井 60
(旧住所:福島県北会津郡北会津村下荒井 60)

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